小説を書くとき、テーマを盛り込むんだ、と指導する人がある。 だが、これはいささか浅薄とは言えないだろうか。 いや、それを浅薄と感じるから、私などは大成しないのかもしれないが…。 テーマ性はあるだろう。 なぜなら、書きたい主題が無ければ、モノは書けないからである。 しかし、それを強烈に意識して書くか、なんとなく意識の奥に置いて書くか、というの は、作者のスタンスによるのではないだろうか。 そこで私は、登場人物にテーマを持たせることを実践しようと『している』。 なぜ『している』のかというと、実際のところ、上手く行っているかどうかは自信が無 いからだ。 うん、無い。 小説のイメージというのは、もちろん、語りによって決定される。 語り、は文体や文脈といってもいい。 簡潔に言うと、「です・ます」か「だ・である」か、ということにもつながる。 もう一つ。 人物の行動だ。 主人公が、他の登場人物を、滅多矢鱈にこきおろして、痛めつけておいて、「これが正 義だ」と文体や文脈で語っても説得力はない。 主人公の行動を正当化する理由がなければいけない。 結局、登場人物がどう行動するかによって、小説のイメージは変わってくる。 そのことに注目して、私は、主人公の行動にテーマを持たせることで、作品自体にテー マを持たせようと試みている。 無論、これは私が発明した手法でも何でもなく、偉大な先人達が取った表現手法の一つ でしかないが、それと意識してやってみるのと、全く無意識にやるのとでは、かなりの差 がある。 もう、難しいのなんのって…。アナタ、いっぺんやってごらんなさいよ…。 閑話休題。 極端な話、主人公が友情を判断基準にして行動する人間であれば、その作品は友情がテ ーマになるだろうし、判断基準が家族にあれば、その作品は家族の関係がテーマになるだ ろう。 ただし、一貫性は大切だ。 それと、程度。 主人公が、人間性を欠いてまで家族を優先させるとなると、それはそれで興味深いテー マだが、話の筋立ては難しい。 登場人物の行動というのは、物語には欠かせないものだから。