自分なりのやり方に転換する


Author 黒金 蒼燐


 小説を書くことに限らず、何かを習得したい、あるいは修練したいと思った時、四つの 段階があるという。  一、模倣。  二、反復。  三、実践。  四、創始。  模倣とは、その名の通り、誰かのやり方を真似ること。優れた文章を読むだけでなく、 書き写すことも重要だと思う。  反復とは、何度も繰り返すこと。見本と定めた一冊の本を読み返すもよし、心に残った 名句を書き続けるもよし。  実践とは、身に付けたやり方を自分の手で形にすること。最初はただの模倣でも、やり 続けるうちに、本当の意味で身についてくる。  創始とは、自分のやり方を確立すること。本当の意味で身に付いたやり方であれば、あ とは自由自在。オリジナルも見つかる。  さて、兎角、アイデア勝負に偏りがちな創作の世界。  言語感覚、というか、文章に対する突発的なセンスのようなものに目が行ってしまうの も当然と言えばその通りである。  しかし、それでも修練は大切なのではなかろうか。  これは私のやり方であるが(おそらく、実践しているのは私だけではあるまい)、近代 の有名な作家の小説を読んで、自分が「上手いなぁ」とか「美しいなぁ」と思った言葉や 表現方法などを、メモしておき、自分が創作する時に、そのメモを見るのだ。  もちろん、有名作家のようには書けない。  当然だ。  Aという作品の中で「彼女は私のオアシスだ」という表現があったとして、自分の作品 でも同じセリフを使おうとしても、おそらくそれは無理だろう。  なぜなら、その台詞は、あくまでもAの中にあるから感動できるものだ。  それに、その台詞を使いたくて書いた作品が、まともに形になるとは思えない。  では、どうするか。  あくまでも、自分なりのやり方に転換する必要があるわけだ。  以下は私の場合。  さて、まず思いついた場面があるとする。  これはアイデアだ。  次から次へと思いつく。  映像かもしれないし、一片の章句かもしれない。または、単に瞬間的なイメージの場合 もあるだろう。  それを小説に組み入れようとすると、当然、すべてを文章で表現することになる。  となると、さまざまなことが具体的になり、時に抽象的になって、言葉と言葉による表 現の世界になっていく。  で、上手く行ったとしよう。  場面を表現することはできた。  しかし、一場面で終わる話ならばよいが、それが、ある程度、長い話の一部だった時、 次の場面までどうつなぐか、が問題になる。  と、いうか、私はいつもそれで苦労する。  場面、場面、はすぐに思い浮かぶ。  しかし、それをつなぐもので詰まる。  そこで模倣したり修練したりした成果がものをいうと思う。  目を転じさせるものを組み込んでみたり、くどくならない程度に背景の説明や世間話を 持ち込んだり。  過去に読んだ物語の手法を、自分なりの方法に転換して使うのだ。  主に構成という点で。  無論、上手く行っているとは言い難い。  しかし、全く唐突に場面転換をするよりは、幾分かましである。  よく分らない内容になってしまったかもしれないが、今回はここまで。


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