助け屋本舗A



 驚異の面会から数時間後、旧尾崎村にたった一つだけある民宿の一室。  すでに暮れかかった太陽の残光が、秋特有の物悲しさを強くさせている。ヒグラシの音が、夏の忘 れ形見として人の心に奇妙な郷愁をもたらす。 「悪かったね、急に呼び出して」 「いいえ、ちょうど仕事も一段落しましたからね。・・・、そうそう、雛菊が心配していましたよ」 「おっと・・・。帰ったらお小言かな」 「はっはっは。せいぜい御機嫌を取ることです」  にこやかに春雅と会話しているのは、酒造玄衛門で店に立っていた男だった。名は志波忠三。春雅 の呼び出しに応じて、何かの書籍を届けに来たのだった。 「おや、お嬢さん。またお会いしましたね」  忠三は実に穏やかな顔つきをした初老の男性だった。もう少し年齢を重ねれば、好々爺というもの を体現することになるだろう。 「どうも・・・。あの、志波さんも、その、あなたの知らない世界を知っているんですか?」 「おやおや、どうやら若に毒されてしまったようですね。あなたの知らない世界とは、また頓知の利 いた言いまわしだ」  はっはっは、と笑い声が上がる。  先ほどまでの陰鬱な空気がいっぺんに吹き飛んだようで、雪音は心底からほっとした。 「もちろん知っていますよ。私は若のご両親がこの生業をやっていらっしゃった頃からお仕えしてい ますからね」  若、とは春雅のことだ。 「木羽さんのお父さんたちも、助け屋だったんですか?」 「も、というよりは、あの方々が最初の助け屋でしたよ。刈田さんがその後を継いだんです」 「そ、そうだったんですか・・・」  雪音と忠三の会話は弾んだ。雪音にしてみれば、突然直面した非現実を現実として受け止めること に、春雅という一つのファクターだけでは不安だったのだ。そこにやってきた「穏やか」を絵にかい たような、この忠三という存在は、雪音自身が思う以上に重要な役割を果たしていた。  一方の春雅は、二人の会話を聞き流しながら、忠三から受け取った書籍を読みふけっていた。  忠三が持ってきたのは、言ってみればノートのようなものだった。一応の装丁は成されているもの の、それは素人仕事だったし、市販の素材によって括られているに過ぎなかった。書籍を構成する紙 の質もてんでばらばらになっており、茶色く変色した古いものから、まだ真っ白な部分を残した新し いものまで様々に挟み込まれていた。 「それ、なんですか?」 「えっ・・・」  突然耳元で聞こえた声に、春雅は驚き、顔を跳ね上げた。  気がつけば、雪音の顔がすぐそばにあった。  ふわり、と爽やかな香りが漂う。  春雅はどぎまぎした。 「あ、ああ、これはね・・・。俺の家が独自に調べた資料だよ。いろんな地方の言い伝えや神話なん かがまとめてあるんだ」  それは木羽家の秘蔵の書で、両親の代やそれ以上前の木羽家の人間によって書かれたものだった。 木羽家の蔵には、過去に起こった様々な怪現象の資料が収められている。それは木羽家が実際に直面 した体験をまとめたものであったり、伝え聞いたものであったり、様々である。中には明らかに数百 年前のものであろうと思われる古文書もあった。今、春雅の手にあるノートは、それら古い資料を彼 の祖父母の代から現代語訳して用いられている、いわば注釈本とでもいえるようなものだった。 「へぇ・・・、すごいんですね」  歴史学部の学生ゆえか、雪音は興味深げに春雅の手元を覗き込む。 「う、うん、そうかな。ははは・・・」  春雅は少し上体を反らし、我知らず徐々に近寄ってくる雪音の身から離れることに腐心した。 「それで、何かわかりましたか、若」  忠三が声をかける。その顔は先ほどよりも大きな笑みを浮かべている。普段はひょうひょうとして いる若者が、珍しくあわてている姿が面白いようだ。 「いや、それが・・・。どうもしっくりこないんだ・・・」 「しっくりって、狐憑きじゃないんですか?」 「うーん、狐憑きは間違いないと思う。ただ、それにしてはあの子自身に動きがないというか、なん というか・・・」  春雅は、雪音に答えると同時に、再びノートに目を落とす。  伝承に曰く、狐憑きというものは狐そのものの霊か、それに類する低級な動物の霊が人間にとりつ き、人間の体を使って奇行悪行をなすものであるという。  春雅たちが見た少女は、確かに何ものかにとりつかれていた。形相の変化、光彩が一瞬にして金色 に染まったことなどがその根拠である。  三好真紀子の状況は、少なくとも、病気によるものではない。 「でも、彼女自身がなにか悪さをしたというわけじゃない。俺たちも脅されはしたけど、手を出され たわけじゃない。・・・、前にここに来たっていう住職は?」  春雅は忠三に目を向ける。 「はい、それが、かなりの重症らしく、まだ意識が戻らないそうです」  奉安寺の住職、慈穏和尚の体には、革の鞭で打たれたような長く細い裂傷と、球体のような何かに よって与えられた強い衝撃の跡があるという。この衝撃は胸骨を粉砕するほどの威力を持っていたら しい。 「うーむ・・・。そんな様子はなかったなぁ・・・」  真紀子は、春雅たちに一切手を出そうとしなかった。そこが気になる、と春雅は言う。  春雅が気にしている点はもう一つあった。 「あの言葉・・・。狐が表出した後に彼女が言っていたことが気になるんだ」  雪音が答える。 「そういえば、何か言ってましたね。でも、意味のある言葉なんですか?」 「うーむ・・・。きつねきつねさんすくみ、てをのぞけ、のぞいてみよゆびのまを・・・。きつねき つね、ってのは分かるとして、さんすくみってのが分からんな・・・」  忠三も腕を組んで考える姿勢をとる。 「三竦みと言えば、ナメクジ、蛙、蛇ですね」 「うーん・・・、それと狐と何の関係があるんだ?」 「さぁ、それは・・・」  他にも分からないことはあった。 「てをのぞけ、って、なんなんでしょう?」 「それもなぁ・・・。ゆびのまを、ってのもなんなんだろう」  雪音、春雅、忠三は互いに額を寄せて考え込んだ。  三人寄れば文殊の知恵、というが、今回ばかりはさしもの文殊観音もお手上げかと思われた。  しかし、そのとき、春雅の目が、ノートの一部分に釘付けになった。 「これだ!」  突然、春雅の指がノートの上を走る。  残りの二人も、息をつめて春雅を見守る。 「狐の窓、指を組むことによって化け狐の変化を見抜いたり、とりついている妖物の正体を透かし見 ることができる」  ノートの図解によれば、それは両手で、影絵などでみるような狐を形作り、両の耳にあたる人差指 と小指を互い違いに触れ合わせ、そののちに全ての指を開くことによって生まれる手と手の間の空間 を指しているようだった。 「なるほど、狐の窓ですか。たしかに、ゆびのま、ですな」  忠三が自分手で狐の窓を再現していた。 「でも、それでどうしろって言うんでしょう。自分の正体を見破れ、っていうのかな・・・」  雪音の疑問は的を射ていた。  変化していたり、何かにとりついていたりする妖物というものは、その正体を知られることを嫌う という。一説によれば、正体を見破られるとその変化の術が解けてしまうからだとも言われているの だが実情は不明である。 「違うな・・・。自分の正体じゃない。他の何かを見破らせたいんだ・・・」  春雅の顔に、真実を知った者の輝きがあった。 「ちがうもの・・・?」 「そう、他にあるんだ。・・・あの子自身にとりついている狐以外に、あの子を狐憑きにした原因が あるってことさ・・・。それがわかれば、あの子を助けられるかもしれない」  春雅は必死になった。  全貌の解明までもう一歩という確信がある。しかし、そのあと一歩が届かない。  焦れていた。 「あっ、もしかして、あれじゃないですか。ほら、あの子のご両親にまとわりついていたモヤモヤ」  雪音が突然声を上げた。 「なんだって・・・?」  春雅は意表を突かれた。 「だから、あれですよ。三好さん夫婦の体からモヤモヤが出ていたじゃないですか。目の錯覚かと思 っていたんですけど・・・」 「見えたのか、なにか!」 「ひゃっ」  春雅は、掴みかからんばかりに、雪音に迫った。雪音はその余りの勢いのよさに一瞬身をひく。 「み、見えましたけど・・・。木羽さんには見えてなかったんですか?」  それまでの明るい表情から一転、不安そうになる雪音。その怯えた表情を見て、やり過ぎたことを 悟った春雅は、慌てて離れる。 「ごめん、びっくりして・・・」  決まりが悪そうに頭をかく春雅。しかし、その眼には奇妙な納得の表情があり、我知らず小声でつ ぶやいた。 「なるほどね、さすがは吉井さんトコのお嬢さんだ」 「え、なんですか・・・?」 「いや、なんでもないよ。しかし、そうとわかれば、狐の窓を使う相手は決まった」  勢いをつけて立ち上がった春雅は、両の掌を打ち合わせた。 「さあ、蔵に戻ろう。あの子を助けるぞ」  春雅は、忠三、雪音を伴って、三好家の敷地に戻った。三好家には大きな門があったが、その前で 来意を伝えるようなこともなく、ずかずかと中へと進む。 「ちょ、ちょっと木羽さん、いいんですか、勝手に入って・・・」 「いいさ、誰もいないんだし」 「いないって・・・、三好さん夫妻がいたじゃないですか」 「ははは、大丈夫大丈夫」  その後も雪音は、何とかして春雅の歩みを止めようと試みたのだが、すべてをのらりくらりとかわ され、ついに蔵の前まで来てしまった。 「・・・」  春雅の目が突然険しくなった。 「いないな・・・」  蔵の扉は開け放たれていた。  いつの間にか空に昇った月の光が、蔵の中をおぼろげに照らし出している。そこには、正面の扉と 同じように開け放たれた地下への扉があった。 「どこへいったんでしょうな」  忠三が油断なくあたりを見渡す。  その時、そう遠くない場所で、けんけん、という動物の鳴き声のようなものが聞こえた。 「あっちか!」  春雅は走りだした。  忠三、雪音も後に続く。  たどり着いた先は、三好家の中庭のようであった。  雪音は目を見張った。その場の異様な光景が、到底信じられなかった。  そこには三人の人物がいた。三好勝文、三好梢、そして三好真紀子である。  だが、三人の様子が尋常ではなかった。  真紀子が、庭の中央部でぐったりとうなだれており、その髪を勝文がつかみ、顔を上向かせている のだ。妻の梢は、しゅるしゅる、と息を漏れさせながら、勝文の所業を見つめていた。  だが、異様はそれだけにとどまらない。  なんと、勝文と梢の顔は、地下座敷で真紀子が見せた、異形とそっくりだったのである。 「ま、まさか・・・」  雪音が小さく呟いた。あまりに意表を突いた光景を前にして、声が出なかったのである。 「そう、あの二人が原因さ」  春雅は、両手の小指と人差し指を立てたまま、中指と薬指をそろえて親指とくっつけた。  狐を形作った春雅は、両手の小指と人差し指を互い違いに付け合わせ、手を開く。ぽっかりと開い た指の間、狐の窓を見つめながら、ゆっくりと腕を差し上げる。 「あの二人、いや、あの二匹が、真紀子ちゃんを狙い、狐を憑依させることになったんだ」  両腕の先、組み合わされた指の間に生まれた、小さな窓。  狐の窓から、それは見えた。 「そうだろう、蝦蟇、蛇!!」  怜悧な月光に照らされ、閑散とした夜闇の中に、春雅の大音声が響き渡る。  直後、頭髪を乱してこちらを見やった三好夫妻が、春雅の狐の窓を見て、絶叫した。 「ぎゃひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」  夫妻の口から、盛大に空気が吐き出され、そのまま、二人の体はけいれんを起こした。そして仰け 反り、胸をかきむしった。二人の人間が、まったく同じ動作で暴れた。と、唐突に叫び声がやんだ。  直後。 「ぼひゅぅぅぅぅぅぅぅ」  夫妻の口から、仄暗く濁った煙が勢いよく吐き出された。 「出たぞ、気をつけて!!」  春雅が雪音を背にかばった。  二人の口から出た煙は、別々に、離れたところに凝縮し、いびつな形を作った。 「あ、ああっ!」  雪音は驚愕した。  それは巨大なガマガエルとヘビに変じたのだ。  月光の中に照らし出された、人間よりも大きい二匹の化け物。それらは、はっきりとした実体を得 ると、眼光も鋭く、春雅をにらんだ。 「おのれ、たいましめがっ、われらのじゃまをしくさるかっ」  ごぼごぼと濁った音がガマの口から放たれる。 「ころしまい、ころしまい、われらのじゃまはころしまい!」  しゅるしゅると空気が漏れる音と共に、ひどく聞き取りにくい声が、ヘビの口からもれだした。 「お前らにできるかな・・・」  二匹のアヤカシを眼前に、まったく動じた様子の無い春雅は、どこかからか取り出した、アルミの ボトルを手にしていた。  勢いよく、ボトルの蓋を開け放つ。そして、息をつめて、あっという間に中身を飲み干した。 「かはぁぁぁぁぁぁぁ!」  春雅の口から、盛大に空気が吐き出される。  あたりを漂う空気が一変した。 「え、なに・・・。お酒の匂い?」  雪音は、確かに酒気を嗅ぎ取っていた。 「おやおや、いきなりそれですか。本気ですな、若」  忠三も、目を見開き、常になく驚いた様子である。 「え、なんですか?」  雪音は忠三の方へと顔を向ける。 「あれはね、純度の高い酒精です。アルコール度数にすると、90パーセントくらいといったところ ですかね。あ、ほら、見逃しますよ、お嬢さん」  忠三の出した指につられて、雪音は視線を春雅に戻した。  しかし、またしても驚愕する。  春雅の体に異変が起きていた。いや、厳密に言うと、春雅の肉体それ自体は変わっていない。ただ いつの間にか、春雅の体から、ゆっくりと、霧のようなものが立ち上っていたのだ。 「あれはスイキです」 「すいき・・・?」 「そう、酔った気。酔気」  忠三がそう言った直後、春雅が吠えた。 「うおおおおおおお!!」  春雅は、跳躍した。しかし、その高さと速度が尋常ではない。ゆうに数十メートルを飛び、一気に ガマへと迫った。  さすがに野生動物の変化というべきか、この奇襲にガマは見事な対応を見せ、脇へ飛んだ。  着地した春雅に合わせるように、ヘビの尾が迫る。  春雅は、ヘビの方を見ようともせず、後ろへ一歩だけ移動して、鞭のような一撃をかわす。そのヘ ビの尾が地面をえぐったとほぼ同時に、春雅はとんぼを打つ。直後、それまで春雅の頭があった場所 に目にも止まらない何かが飛来し、また、引っ込んだ。 「なるほど、住職が受けたのはこれですか」  忠三が呟く。 「え、どういうことですか?」  雪音は、目の前で繰り広げられることごとくが意表を突きすぎて、何が何だか分からない。 「鞭で打たれたような裂傷と、丸い何かで突かれた傷ですよ」  病院にいる慈穏和尚の怪我のことである。 「おそらく、ヘビの尾が<鞭>、そしてガマの舌が<丸い何か>でしょう」  なるほど、と雪音は納得する。化け物の攻撃を受けては、どんなに屈強な人間でも一溜まりもある まい。  忠三と雪音のやり取りの間にも、春雅と二匹の化け物との攻防は続いていた。  全身から酔気を立ち上らせた春雅は、酔ったような千鳥足になっている。いや、事実、春雅は酷く 高純度のアルコールを摂取して酔っ払っているのだ。  雪音の目には、ヘビとガマの攻撃を紙一重でよける春雅の姿が、今にも砕け散ってしまいそうな危 ういものに映った。 「忠三さん、早く助けないと、木羽さんだけじゃ二匹の相手は無理です!」 「ははは、なかなか勇気がありますね、お嬢さん。でも大丈夫、若は負けませんよ。それよりも気を 抜かないでください。我々には別の仕事がありますからね」  忠三は、一瞬だけ笑みを見せたが、すぐに真剣な表情になり、春雅を見つめた。いや、そうではな い。忠三の視線は、春雅には向いていなかった。  その視線を追った雪音は、はっ、と気がついた。  忠三が見ていたのは真紀子だった。  春雅と二匹の化け物が交差する戦場。その中心に取り残された哀れな狐憑きの少女。  ぐったりとした真紀子を見た瞬間、雪音は理解した。春雅は、真紀子から、二匹の化け物を引き離 そうとしているのだ。そのためにわざと劣勢を演じているに違いない。 「一瞬のすきを見逃さないで下さいよ。あの子のところに駆け寄って、この塩を周りに巻いて、場を 清めるんです。そうすれば、奴らの攻撃は届かない」  忠三は、小さな布袋を雪音に手渡した。  雪音は、緊張した面持ちで、袋を握り締める。  どれほどの時間がたったのか、定かではないが、機は唐突に訪れた。  いくら攻撃しても捕えられない、のらりくらりとした酔っ払いに焦れたのか、ヘビが体全体で春雅 に飛びかかったのだ。 「今です!」  忠三の鋭い声に、雪音の全身がばねのように反応した。自分でも驚くほどの速さで真紀子へと駆け 寄り、走りながら袋に手を突っ込み、中の塩をつかむと、真紀子を中心として円を描くようにまき散 らしたのである。  これを見たガマが、悔しさも露わに凄まじい鳴き声を上げると、音速の舌を雪音に目掛けて発射し た。しかしその舌は、雪音の眼の前まで来ると、がつん、と見えない壁に阻まれて、むなしく跳ね返 って行った。 「はぁ、はぁ、はぁ」  雪音は、腰を抜かしてへたり込んだ。 「お見事ですよ、雪音さん」  忠三が雪音の肩に手を優しく置いた。そして、ガマに向かって言い放った。 「これは霊山に住む天狗様から頂いた霊力を持った塩だ。お前程度の舌では貫けんわ!」  ガマは唸った。  その唸り声に反応して、ヘビがガマの傍へと飛ぶ。  雪音は見た。ヘビの背後から立ち上る酔気を。そしてその源である春雅を。  春雅の表情は静かだった。しかし、冷酷でもあった。  息をのむ雪音。そして、場を支配する異様な気配に気がついたらしいヘビとガマ。  二匹が振り返る。  同時に、春雅が口を開いた。 「おい、畜生ども」  その声は、静かに、重く、だが鋭く、腹をえぐるように響いた。  怒りの声だった。 「てめぇらは越えちゃならねぇ一線を越えた。ゆるせねぇ・・・」  春雅は、大きく両手を上下に広げた。そして、ガマとヘビをにらみつけながら、ゆっくりと二本の 腕を別の方向に向けて回転させる。円を描く両腕に、酔気が絡みつき、上を向いていた右腕が下に降 り、下にあった左腕が頭上にたどり着いた時、春雅は振り絞るような呼気と共に両の手を鳩尾のあた りに引き寄せた。  上と下から寄せられた両手が、互いに指先が上下を向いたまま、手首を接点にして、胸の前で合わ せられる。  ガマとヘビは、一声吠えると、二匹同時に飛びかかった。  春雅は、気合い一閃。両手を左右に勢いよく広げる。  突如、春雅の両手に溜められた酔気が爆発し、放射される。  酔気の直撃を受けた二匹の妖怪は、大きく弾き飛ばされた。 「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ」  酔気に体を貫かれた直後、断末魔と共にガマとヘビは、実体を取る前の煙に変わり、霧散した。 「な、何が起こったんですか?」  雪音は忠三に聞いた。 「凝縮した酔気を叩きつけて、あの二匹の陰気の核を破壊したんですよ。言ってみれば心臓を壊した ってことです。普通、妖怪の体の中の核、つまり魂のようなものを直接攻撃することは出来ないんで すが、若は酒を飲むことで、自分の体の中の気を酔気として外側に放出することができるんです。そ の酔気を練り上げて、弾丸のようにして、あの二匹を撃ち抜いたってわけです。気で保護された核も 、同じ気なら貫けますからね。まぁ、強い気を持った妖怪には通用しませんが、あの二匹はただの動 物の変化でしたからね」  忠三は、常時の彼に似合わず、興奮気味に言った。  雪音には、忠三の言葉の半分も理解できなかったが、ただ一つ分かったことがあった。  終わったのだ。長い一日が・・・。 「あのガマとヘビ、どうして真紀子ちゃんを狙ったんでしょうね」  壮絶な戦いの夜から数日後、助け屋本舗の事務所に、雪音と孝介の姿があった。 「どうも、あの真紀子って子は、キツネモチだったみたいだねぇ」  孝介は爪の手入れをしている。身だしなみには気を使う性質だった。 「きつねもち?」  雪音は首をかしげた。 「そう、狐持ち。小さな狐の霊を使っていろんな事を調べる霊能力者のことさ」 「そんなこと出来るんですか?」 「できるとも。そういうのを使役術っていうんだけどね。まぁ、有名なのが役小角の前鬼後鬼とか安 倍晴明の式神とかだね。まぁ、動物霊を自分の手先として使役するってのは、実は良くある話だよ」  孝介の話によると、術者に使役される狐をイズナまたはイイズナと呼び、飯綱などと書くようであ る。また、これの他にも、管狐と呼ばれるものがあり、これらを飼育する際には竹の節を利用した管 が使われるという。 「まぁ、イイズナっていうオコジョの仲間が図鑑にも載ってるけど、それとは別さ」  雪音は孝介を見た。孝介は、雪音の視線を受けながら話す。 「あの二匹は、どうやら、狐持ちの肉を食えば、自分たちの力が上がると思っていたらしい。実際の ところ、昔から徳の高いお坊さんなんかの肉を食べると神通力が身に付くって言い伝えがあってね。 あの二匹はそれを真に受けたようだよ」  雪音は、あの場にいなかった孝介が、なぜそんなことに詳しいのか不思議になった。いや、そもそ も、孝介の話は本当なのだろうか。ただの予測ではないのか。そこまで考えて、ある可能性に思い至 った。 「ま、まさか所長もあるんですか、超能力・・・」 「うん、まぁね。僕は過去を見ることができるんだ」 「過去を?」 「そう。だから、君たちが帰ってきたあと、三好家に行って、事の発端を見てきたというわけさ。こ の目でね」  孝介は、一つしかない目をつぶって見せた。  雪音は事務所を見渡した。 「ほかのみなさんも?」 「そうね。増田は車輪とハンドルの付いたものなら何でも動かせる。キーがなくてもエンジン始動で きるし、過去に運転した経験がなくても、手足みたいに操れる。ただ、燃料は必要だけどね。関は寺 の息子で、結界張らせたらピカイチさ。それと、金井はジャンパー。瞬間移動だね。他にも困ったと きに助けてくれそうなヘルパーさん達も何人か知ってるよ」 「そ、そうですか・・・」  雪音は事務所の中を見渡した。  全員が出払って閑散とした事務所は、昨日までの同じ場所とは思えなかった。建物の見た目が変わ ったわけではない。雪音の見方が変わったのだ。 「他人事みたいな顔してるけどね、ユキちゃん。君にもあるんだよ、特殊な能力」 「は・・・?」 「見たんだろう。ゲンちゃんにも見えなかったモノ」 「うっ・・・」  実のところ、忘れようとしていた事実だった。  霊能力者、かどうかは不明だが、ほかの人間にはない特別な能力を持った人間、つまり春雅さえも 気が付かなかった異常に気がついた自分。それの意味するところに、できる限り気付きたくはなかっ たのである。 「自分でも分かってると思うけど、それは十分特別な能力だよ」  孝介は穏やかに笑った。 「それに、君のお父さんと僕は長年の友人だ。そんな人が僕たちの能力を知らないと思うかい?」  腕を組んだ孝介は、椅子に深くもたれかかった。 「たしかに、故意に隠そうとすれば知られないでいることもあるだろう。でも、僕らは何でも屋なわ けだし、能力を隠していちゃあ仕事にならない。君のお父さんからは一度依頼を受けてね。君は知ら ないみたいだけど、君の家は平安時代から続く見鬼の一族だから、厄介事も少なくはない」  孝介は言葉を切り、雪音の反応をうかがう。  雪音は目を見開いている。言葉が出ないのだろう。 「鬼、つまり、妖怪や妖精の類というのは、通常は人間の目には見えない。しかし、正体を暴露され てしまうと普通の人間にも見えるようになってしまう。姿が隠せなくなる。けれども、君たち見鬼の 手にかかると、正体を暴露するなんて必要はなくなる。ただ見れば露わになってしまうんだからね。 だから、これから悪事を働こうとする、いろいろな奴らから狙われるというわけさ」 「じゃ、じゃあ、父が、ここのアルバイトを私に勧めたのは、私のことを、その厄介事から守るため なんですか?」 「半分正解。実際、見鬼の能力ってのは、それと知っていれば回避できるんだ。だから絶対に排除し なければいけないほどの脅威じゃない。狙われるって言うのも、極端な話さ。君のお父さんが君をこ こに入らせた本当の理由は、自分の能力をちゃんと理解してほしいからさ。知らずに能力を使ってし まっていることと、知っていて使うか使わないか選べるということでは、雲泥の差があるからね」  孝介はデスクの上の雑誌を一つ取り上げる。 「僕たちは、みんな世間から見ればはみ出し者と同じかもしれない。それぞれが固有の特別な能力を 持っている。君の能力もそう。だけど、別にそれがハンディになるわけじゃない。それなりに生活し ていける。自分をしっかり理解していればね。だから、君にも、その力を嫌わないでいてほしい。僕 らの仲間になれとは言わないけど、知ってほしい。僕らのような存在をね」  孝介の言い方は当たり障りのない風を装っていたが、実のところ、雪音の見鬼としての能力の開花 を思っての言葉だった。  突然芽生えた異質な能力。しかしそれは本人にとって良いものか悪いものか、他者には判断できな い。孝介は、決めるのは雪音であるということを雪音自身に訴えたのである。  能力者の輪に入るか、否か・・・。 「ふぅ・・・」  雪音のため息が、静かな事務所内に響く。 「私がいなかったら、この事務所の掃除は誰がするんですか?」 「え、じゃあ・・・」 「これからもよろしくお願いします、所長」  雪音の顔には、朗らかな笑みがあった。 「やったぁぁぁぁぁぁ!!」  直後、事務所の扉が開け放たれ、三人の男どもが雪崩れ込んできた。  閑散とした事務所は一転、有頂天の大騒ぎとなった。  穏やかな日が降り注ぐ秋の日、吉井雪音は、早々と就職先を決めることとなった。  それからさらに数日後の酒造玄衛門。 「若、いいんですか?」 「なにが?」 「今日は二回目のお嬢さんの歓迎会でしょう?」 「二次会はうちでやるってさ」 「どうせなら一次会からいけばよろしいのに」 「仕方ないでしょ、こうもまとわりつかれちゃ・・・」  呑気に会話していた忠三と春雅だったが、実際、春雅の現状はあまりよろしくはなかった。  春雅の膝の上には、一匹の狐がいる。いや、実際には狐ではない。尾が二つに分かれている。  稲荷神の使いと言われ、五穀豊穣の先触れとされる、御先狐である。 「まさか、あの子にとりついていたのが御先だったとはね。随分と力の強い狐持ちだったんだな、あ の子」 「三好家はあの土地の庄屋でしたからね。豊穣の神様とは仲が良かったんでしょう。もっとも、本物 の御先稲荷なら、稲荷神のところにいなきゃいけませんからね。おそらくはオハグレさんでしょう」  オハグレとは、木羽家に伝わる独自の言葉で、過去に神霊であったものが霊験を失い、妖怪と同等 になったものをいう。といって、悪いものかというとそうではない。良いものも悪いものも含めての 総称である。 「強い力と言えば、あのお嬢さん、吉井さんでしたか・・・。彼女の力も相当なものですね。いまま で幽霊や怪奇現象は見たことがないとおっしゃっていましたが・・・」 「そうだなぁ・・・。孝介さんが言うには、ガマとヘビの邪気を感じて、防衛本能が働いたことで眠 っていた見鬼としての能力が開いたんだろうってことだけど・・・。まぁ、その突然の開花ってやつ に助けられたけどね」  春雅は、明るく日の差し込む縁側で、御先狐を膝にのせて座っていた。 「それにしても・・・」  すっと、寒気を感じて、春雅は御先狐の背をなでながら横に視線をずらす。  そこには一人の少女がいた。  漆黒の長い髪を後ろに垂らし、胡蝶をあしらった和服に身を包んだ、ほっそりとした美少女である が、こちらもまた、尋常の少女ではなかった。  険しい表情の、その眼は右しかない。左目はぽっかりと穴があいている。その奥は闇に閉ざされて おり、様子はわからない。  また、日の当たらない陰に身を置きながら、少女の体はかすかな燐光を放っている。じっと目を凝 らすと、少女の体はうっすらと透き通っており、向こう側が透けていた。  木羽家に憑いた神霊であった。 「雛菊、そんなににらむんじゃない。ただの狐じゃないか」  春雅は、少女に声をかける。 「ただの、じゃない。オサキ・・・」  静かだが、やや険のある声が聞こえた。雛菊の声である。 「ははは、これまでで若の膝に上ったのは、雛菊だけでしたからね。自分の場所を取られたと思って いるんじゃないですか?」 「そうなのか、雛菊?」  忠三が面白そうに笑う。春雅は、少し驚いた表情をして雛菊を見つめた。  雛菊は、ぷい、とあさっての方向を見ると、知らん、とだけ言って消えてしまった。 「やれやれ、後で機嫌をとっておかなきゃな・・・」 「がんばってくださいよ。雛菊に機嫌をそこねられちゃ、商売あがったりですからね」 「他人事だと思ってさ・・・」  むくれる春雅と、笑う忠三。そして、関係ないそぶりの御先狐。  これもまた、助け屋の日常であった・・・。                                    『助け屋本舗』 終幕    


作品一覧 /  トップページ



inserted by FC2 system