やるだけやったら、その時……



 ご奉仕をしたいわけじゃない。けれど、医療従事者って響きに、少しだけ憧れてた。ただそれだけ の理由だった。  だから、そんな職場に入って何をどうしたいだなんて思ってない。  自分の手が、足が、僅かでも人のためになるのだという、自己満足を味わって生きていけるんじゃ ないかなんて、そんなことを考えてる。 「医薬品卸売り」  研修期間というのは半年や一年あるものだと思ってたから、一ヶ月で現場に放り出されたのには驚 いた。  でもまぁそんなことは仕方がない、先輩数名が早々にやめたみたいだから、穴埋めとして放り込ま れたわけだ。  俺が抜擢された勤務先に退職者は居なかったようだけど、俺だけ研修してるわけにもいかないだろ う。  そうそう、俺は福井勤務になったから、厳密には転勤だ。  入社後の大型連休を利用しての引越し。  運送会社が帰ってから部屋に詰まれたダンボールを見上げていると、どこか虚しい気持ちになった が、同時に自分の城を手に入れたことが少しだけ嬉しかった。ようやく、俺は二十年余りで親の掌か ら外に出ることができたのだと思った。  とはいえ、ダンボールの開封作業はその親に手伝ってもらってはいたのだけど。  福井の支店に配属されたはいいが、やはりというかなんというか、入社一ヶ月の新人に任せられる 仕事などあるはずもなく、とっと仕事を覚えろ、という無言の圧力が四方八方から押し寄せる。  倉庫で機械から吐き出される注文書を破り取っては医薬品を棚から探してくる。その作業を繰り返 して、少しでも商品の名前を覚えろと言われたは良いが、その数は数万。  もしかしてここの職員は暗記科目の点数がものすごく高いのではないだろうか。  ちなみに俺は理系だ。  仕事をすればミスをする。新人ならば当然のことだ。  とはいえ怒れらるのも当然のことか。  どうやらここの「女性陣の怒り方」とは、聞こえるところで違う人に俺のミスを露呈することと同 じ意味を持つようだ。  いくら怒られたところで、人の性質はそうは変わらない。だとしたらミスを無くすよう一念発起だ ろう。まぁ当然のごとく新たなミスは生まれ、繰り返すミスもあるのだが……。  上手くないのが自覚がないといったところか。  定時で帰られるのは最初のうちだけらしい。だから帰られるうちに帰っておけ、とのことで夕方五 時過ぎに帰宅した。学生の頃より早いだろう帰宅時間に嬉しくも思ったが、転勤族の俺にはパソコン が友達。  ウィンドウズとはよく言ったもので、話し相手を探して窓を開いた。営業に就いた俺の得意技は引 きこもり。どうしてこの仕事に就いたのかを問われるのは遠くなかった。  とかく、この会社の採用情報には就業時間の訂正が必要なようだった。  倉庫での荷出し業務を卒業し、これから転勤する人の後任として営業を行うことになる。  一人立ちまでの期間は二週間。その期間を前任者と一日中同行して仕事をみっちりと叩き込まれる のだ。  営業車の助手席に座り手帳を開き、何が必要かもわからないまま聞いたことを書き連ねていく。し かし、第一の仕事は眠気との戦いだった。  晴れて一人立ち。  だからといって一人前というわけではない。うろ覚えの道を車で走り、ただひたすらに時間とのガ チンコ勝負。  そう、速さこそ全て。そうしてようやくノルマの件数を回ることが出来るようになって慣れを実感 したところで、「出てけ」の一言を浴びる。  そうだったそうだった。この仕事は車の運転ではなかったんだっけ。なんて気がついた。  帰社して怒られたと報告したら課員に笑って慰められた。ちょっと、がんばってみるか。  運転中は常に唄っている。そりゃもう叫ぶように。そうしていると何も考えないで済むから、声を 張り上げている。だから、得意先で何をしゃべるかを考えられていない。天気ネタが通用しなくなる と、俺は壁にぶち当たった。自分の趣味や苦労話、わからない医薬品の話。空回る日々は続き、いつ しか新聞を読まなかった俺は新聞を読み、医療記事を漁り、ネットでは医薬品の情報を探すようにな っていた。  家に帰れば何もしなくなるから、職場で仕事を進めようとして、帰宅時間が遅れた。  いつの間にか一週間が経っている日々。なんだか、悔しくて。ネットで見つけた話し相手にコメン トを綴る日々。それだけが精神を繋ぎ留めた。  一年目も終盤に近づいたある日、どでかいミスを犯した俺は帰社するや否や、課長に別室へ呼ばれ た。  普段は会議室として使う部屋が、取り調べ室のように感じられた。事情を一頻り報告した後で、慰 めの言葉をもらい、そして――いわゆる退職勧告を受けた、のだと思う。  この仕事の壁が、高すぎないか?  自分に問いかける。  まだ仕事を始めて一年経っていなかった。さすがに辞める訳に行かなかった。でも気がついた。仕 事の重さ、学生との違い。仕事の出来ないやつは、要らない。そして職場というものは、その仕事に 特化した要員らを集め、育て、努力させ、そして評価する場所なのだ。この仕事をこれでもか、との 位に苦手とする俺は、詰まるところお呼びでない訳だ。  だったら、もう道は一つしかないよね。  一生は続けられない。それが俺の出した答え。  じゃあ、辞めるの? その自問に俺はこう返した。  やるだけやったら、その時。  その時とやらまで居られるかわからないが……。


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