仮面ライダーリギル・第1話


       Episode,1 [回り出す物語]


〈1〉  風が吹き荒れているような、何かが唸っているような、独特の低い音が耳の奥でこだましていた。  その音に促されるように、桐州 周吾(きりす しゅうご)は目を覚ました。  開いたばかりの目には、薄暗くて不鮮明な映像しか入ってこない。しかし、次第に視界が明るくな っていくにつれ、同時に、少しずつ他の感覚も目を覚ましていった。重力を感じ取る機能が覚醒した 時、ようやく周吾は、自分が、何か硬く冷たい平面に、仰向けで寝ている事を自覚した。  ぼやけていた映像が次第にはっきりしていくとともに、彼は視界の端で、何かが蠢いている事に気 付いた。更に視界が回復していくと、その正体がどうやら人間であるらしい事が分かってきた。それ も、一人ではない。白衣か何かで身を包んだ複数の人間が、寝たままの自分の周りを、せわしなく歩 き回っている。  気がつくと、耳障りな雑音が聞こえていた。それは、彼の周囲で蠢き続ける人々のざわめきである らしい。彼らが何を話しているのかは聞き取れないが、どうも人々は、混乱に陥っているように思わ れた。焦った様子で、歩き回りながらも、ある者は絶え間なく何かを呟き、あるいは他の手近な人物 へ話しかけ、意味不明な言葉を繰り返している。  どこからか風が吹き込んできた。現在、周吾がいる場所は、少なくとも屋内である事は間違い無い ようだが、どこかに備え付けられていた扉が開かれ、外界の空気がそこから流れ込んできたものらし い。  不意に、周囲のざわめきが遠ざかっていった。視界の端に映っていた人影が、風の吹いてきた方角 に向かって歩いていくのが見えた。全員、開いた扉から、外へ出て行ってしまうようだ。  白衣の人影が残らず消えてしまい、室内が静まり返った直後、周吾は完全に目を覚ました。 「……どこだ、ここ…?」  首を擡げて、室内をよく見渡そうとした時、自分の手足が何かに押さえられ、身動きのとれない事 に、ようやく彼は気付いた。可能な限り首を曲げ、頭を動かして、周吾は、紺色のシーツのような布 を被せられた自分の胴体と、自分が寝かされている手術台を連想させる寝台、そして、シーツの端か らのぞいた自分の手足を、その寝台へ固定している金属製のリングを見た。  驚いた周吾は、銀色に鈍く光るその輪から逃れようと、思わず手首に力を込め、ガチャガチャと音 を鳴らした。  突然、けたたましい音を立て、金属具が細かい部品となって、空中へバラバラに弾け飛んだ。 「えっ?」  周吾は、唖然として、あっさり自由となった左腕を眺めていた。しばらくして我に返った周吾は、 恐る恐る、右腕に力を込めてみた。彼が力を強めていくにつれて、右腕をしっかりと寝台に固定して いるはずの金属具がたわんでいき、数秒後には、右腕を拘束していた輪も同じように破壊され、バラ バラと宙へ部品を撒き散らした。息を呑んだ周吾は、思い切って、右足、そして左足を順に空中へ蹴 り上げてみた。両足首の金輪も、やはり勢い良く空中へ四散してしまう。  自由を得た周吾はゆっくりと上体を起こし、改めて、金属製の拘束具を破壊した己の手足を、しば らく繁繁と眺めた。  一体、自分はどうなってしまったのか。……そういえば、ここは一体、何処なのか。自分は何故、 こんな場所で、こんな状態で寝かされていたのか?  はじめ呆然としていたものの、そうした様々な疑問が頭をよぎり、彼は改めて、見覚えのない室内 を見渡した。  手術室に似ているその部屋は、しかし、彼の持っている手術室のイメージとはかけ離れた広大なも のであった。ちょっとした体育館程度の広さを持つ室内は、夕暮れを思わせる薄暗闇に包まれてだっ たが、光源が不明の淡く青白い光が、室内にある仄かに満たされていた。周吾の寝ていた寝台の足元 や枕の側には、歯医者を連想させる、先端にドリルのような物が付いた、人の背丈程の大きさを持つ 機械、そして大型の端末機のような機械が数台、並んでいる。部屋の壁面には、やはりパソコンを大 型化したような端末機、用途不明のパネル類等が、ぎっしりと並べられていた。  室内を見回しながらも周吾は思う。いつから意識が無くなっていたのか、いつの間にこんな場所で 寝かされていたのか、それをはっきり思い出す事もできない。最後に記憶へ残っているのは、番組の 収録を終えて自宅に戻った後、ちょっとした用事で再び外出した場面だった。  ふと、寝台の左手側に目をやった周吾は、ギョッとして再び息を呑んだ。彼の寝ている寝台より数 メートル離れた場所に、同じような寝台や機械があり、その寝台には人間が一人、仰向けになってい たのである。  自分にかけられていたシーツを、服の代用として体へ簡単に巻き付けると、周吾はその人物に目を やりながら、慎重に寝台から足を降ろした。足の裏に、冷たいタイルの感触をおぼえる。横たわった まま、身動き一つしないその人物へ、ゆっくり歩いていく周吾。  相手も、周吾同様、全裸の上に深緑のシーツを一枚、かけられた状態のようだった。近づくにつれ て、相手が若い女性である事が分かってきた。同時に、周吾は奇妙な感覚に襲われた。まるで、相手 の女性から発せられる、目には見えない「何か」を、脳が直接感じ取っているようだった。  女性の顔を、間近で見下ろせる距離にまで接近した周吾は、彼女の顔をつくづくと眺めた。年齢は 、十代後半から二十代前半といった程度。周吾とあまり変わらない年頃のようだった。周吾は、その 整った顔立ちを、どこかで見た記憶があった。 「もしかして…この子、戸浦 真希(とうら まき)…?」  間違いない。今までに言葉を交わす機会はほとんど無かったが、周吾が意識を失う数時間前、同じ 番組の収録で一緒だった人物である。  事情はどうあれ、少なくとも彼らが、何者かの手でここへ捕らえられてしまったのは間違いないよ うであった。ひとまず、この場所から逃げ出し、助けを求めるのが先決だろうと周吾は思った。どの みち、この部屋の、そして建物の外へ出てみなければ、今、どんな状況に置かれているのか正確に把 握する事もできないだろう。ましてや自分以外にも、こうして意識を失い、自由を奪われている人間 がいるのであれば、なおさら、こんな場所に留まっているわけにはいくまい。 「あの、戸浦さん…?」  声をかけ、揺さぶってみたが、真希は目を覚まさなかった。だが少なくとも、シーツ越しの温もり と、小さく聞こえる規則的な寝息が、彼女は意識を失っているだけであると伝えていた。  恐る恐る手を伸ばし、周吾は真希の拘束具も解こうと試みた。今回も、あっさり金属の輪が破壊さ れ、少女の肢体は解放された。やはり、金属具はあらかじめ解かれていたわけではない。無論、誰に でも素手で破壊できるほど、柔な作りになっていたわけでもない。周吾の手が、尋常ならざる怪力を もって、金属製の拘束具を力ずくで破壊したのだ。  周吾は慄然として、もう一度、自分の両手をつくづくと眺めた。しかし、いつまでも考え込んでい るわけにはいかない。  まだ驚愕や不安が鎮まったわけではなかったが、半ば無理矢理に自分を落ち着けさせた周吾は、慎 重に真希を抱き起こし、彼女の身体にも、かけられていたシーツを衣服代わりにくるくると巻き付け た。未だに、真希は目を覚ます気配が無い。  意識の無い少女を背におぶり、周吾は開いたままになっている扉へ歩み出した。 〈2〉  戸浦真希を伴った桐州周吾が、手術室風の大部屋から脱出している時、先程、その大部屋から慌た だしく出て行った人々は、大混乱に陥っていた。周吾は知る由も無かったが、彼らのいる手術室から それほど離れていない、コンピュータールームのような一室にて、惨劇が繰り広げられていた。  大部屋から出て行った白衣の集団は、突然、壁を突き破って部屋に現れた黒い影に襲いかかられ、 次々と殺害されていった。彼らを殺戮していくそれは、巻貝の殻にも羊の角にも見える、渦巻状の物 体を頭部に備えた、異形の影であった。  影の背後には、ほかにももう一つ、より大柄な体格をした、動物の鬣のような長髪を備える影が立 っていた。息絶えていく白衣の男達を尻目に、鬣を持つ大柄な影は、部屋の奥へ悠然と歩んでいった。 そこにあった金属製の巨大な扉へ、大きな影が手をかざす。と、わずかな軋みとともに、金属扉が ゆっくりと開いていく。  扉の奥へさらに歩みを進める大きな影。やがて、その眼前に、人一人がすっぽり収まる位の大きさ を持つ、カプセル型の物体がずらりと並ぶ光景が広がった。カプセルの形をした物体は、やはり金属 製らしく、全体が銀色で統一されている。銀色の棺を思わせるその物体の数は、十あまり。  鬣を持つ影は、金属カプセルに対しても、手をかざすような仕草をした。やがて、右端に置かれて いたカプセルが、棺の蓋を開けるように上下二つに割れ、その隙間から大量の冷気が漏れ出した。 〈3〉  周吾は、真希を背負ったまま、小走りで廊下を駆け抜けていた。どこまで続いているのか見等の付 かない、薄暗い廊下を、少女を背負って数十分、休むことなく走り続けていたが、不思議と、それほ ど疲れは感じなかった。自分の進む先に出口があるという確証はどこにも無かったが、今はただ、体 力の続く限り、ひたすら直感頼みで廊下を進んでいくしかなかった。  周吾が、不意に立ち止まった。誰かが、周吾達の近くにいる。人影が視界に入ったわけではないし、 話し声や息遣いが耳に届いたわけでもない。ただ直感的に、第三者の気配のようなものだけを感じた のだ。先程、拘束されている真希へ歩み寄った時に感じた、あの感覚と同じもののようだった。それ は次第に強くなり、軽い頭痛のような、奇妙な疼きを頭の中に感じるまでに至った。これはきっと、 自分の気のせいなんかじゃない。周吾はそう確信し始めていた。十メートル以上前方に見える曲がり 角の向こうに、間違いなく誰かが隠れている。何故かは分からないが、視覚や聴覚に頼らなくとも、 彼は相手の存在を感じ取る事が出来た。  やがて、ほとんど足音も立てず、気配の持ち主が、左前方の脇道から姿を現した。今の周吾達と同 じく、白い布をマントのように羽織り、全身に巻きつけた、1人の青年であった。彼が衣服の代わり にしている布は、周吾達のものと比べて、全体的に黄ばんで汚れており、裾がボロボロになってしま っていた。かなり年月の入ったもののようである。無表情な青年は、一言も発さずに、ただ周吾の顔 を見つめていた。 「あ、あの…すいません……」  自分達二人と、同じ境遇の人間だろう。そう考えた周吾が、青年に話しかけた瞬間であった。男は 表情を見せぬまま、不意に、周吾に向かって突進してきた。間違いなく男は、周吾達から十メートル は離れた場所に立っていたはずだった。だが次の瞬間、男の体は周吾の眼前まで迫ってきていた。信 じられない脚力によって、ただの一跳びで、瞬く間に周吾との間合いを詰めたのだ。  反応する暇も無く、周吾は男の手で頭部を鷲掴みにされた。気を失っているままの真希が、音を立 てて床に転がる。彼女の身を案じる暇も無く、周吾は頭を掴まれたまま、壁に叩きつけられた。  周吾の頭部を絞めつける男の右手は、普通の人間であれば、とっくに頭蓋骨が粉砕されている程の 握力を発揮していた。激痛に喘ぐ周吾に、男はさらに左腕も伸ばそうとする。  殺される!  直感的にそう悟った周吾は、密着状態のまま、あらん限りの力で男を蹴り飛ばした。周吾本人も予 想だにしなかった脚力によって、男は向かいの壁面まで吹っ飛ぶ。衝突した厚手の壁に亀裂が走り、 更に、男の身体は壁を破壊し、その破片や粉塵とともに、床へ崩れ落ちた。  瓦礫まみれで倒れている男を、荒く息をつきながら見つめていた周吾は、まだ手足を蠢かせて立ち 上がろうとしている男を尻目に、床に倒れていた真希を抱き上げると、慌ててその場から走り去って いった。  訳の分からない出来事が次々と襲い掛かり、周吾の思考はパニックに陥っていた。あの男は、一体 何だったのか?何故、自分に襲い掛かってきたのだろうか?あの男が振るった腕力は、一般の成人男 性を遥かに凌ぐものだった。そして、それ程の怪力の持ち主を自分は、同じように凄まじい力を発揮 して、一蹴りで倒してしまった。先程も自分は、鉄製と思しき拘束具を、素手であっさりと破壊して のけた。自分の身体には、何かしらの異常が起きている!  しかし、いつまでも、混乱したまま当てもなく走り続けてはいられなかった。 「ううん……」  うなされているかのような、苦しそうな真希の呻き声が聞こえ、周吾の頭は一気に冷静な状態へ引 き戻された。先程の騒ぎで、真希は目を覚ましかけているのかもしれない。  立ち止まって、真希の様子を確認しようとした周吾の耳に、別の人間の話し声が聞こえてきた。 「人の声だ…」  真希を抱えたまま、再び周吾は、声のする方角へと走っていった。  数分後、周吾は、動物園のケージを思わせる、アクリル樹脂の透明な壁で前面を覆われた、監房の ような部屋の前に立っていた。部屋の中には、話し声の主である三人の男女が力なく座り込み、ボソ ボソと言葉を交わしていたが、周吾の姿に気付くと、驚いて後ずさりした。二十代半ばと思われる女 性が一人、眼鏡をかけた中年の女性が一人、三十代と思しき男性が一人。周吾は、三人のうち、右端 にいる中年の女性に見覚えがあった。 「あのう…ひょっとして戸浦真希さんのマネージャーさんじゃあ…」  周吾にそう話し掛けられ、再度驚いた様子の女性は、周吾の顔をジッと見つめた。どうやら、すぐ に女性も周吾の顔を思い出したらしく、 「あら…桐州周吾さんじゃありませんか?HOPPERSの…。ああ、真希ちゃん!」  女性は、周吾の腕の中にいる少女が戸浦真希だと気付いたらしく、途中で周吾への言葉を切ると、 真希へ懸命に話しかけた。 「真希ちゃん、真希ちゃんでしょ?」  マネージャーの言葉に、真希はようやく、うっすらと目を開けた。 「あ……?」  真希は、不思議そうに周吾の顔を見つめた。 「良かった、目が覚めたんですね。立てそうですか?」  ホッとした周吾は、そっと、真希を床へ降ろしてやった。少しふらつきながらも、真希は、しっか りと自分の足で立つ事が出来た。 「あの…確か、HOPPERSの桐州さん…」  ボンヤリとした声で、真希が訊ねた。 「はい、その桐州周吾です。僕と真希さんだけ、皆さんとは別の部屋に入れられてまして……」  そう言いながら、周吾はふと奇妙に思った。彼と真希は、全裸にシーツを一枚かけただけの格好で、 手術室のような部屋に拘束されていた。しかし、ここにる三名は、三名ともにスーツ姿――恐らくは、 誘拐された時の服装のままなのだろう――であり、周吾らとは別の部屋に、ただ押し込められていた だけだった。これは、何を意味するのだろう? 「こ、これは、どういう状況なんでしょう?俺達、何で、こんな場所に…」  三十代と思しき男性が、周吾に訊ねる。 「あの…これって、どういう事なんです?名取(なとり)さん、ここ、何処です?」  目覚めたばかりの真希も、状況が理解出来ず、マネージャーに質問をぶつける。 「分かりません。何がなんだか…。とにかく今は、ここから逃げ出しましょう!」  そう言った周吾は、アクリル製の壁の脇にある、金属製のドアへ手をかけ、思い切りドアノブを引 っ張った。案の定、周吾の腕力に耐え切れず、鍵は破壊され、ドアが勢い良く開かれた。 「な、何だ?随分、あっさり壊れたな。こんな事なら、俺達三人でドアをとっくに壊せてましたね」  男性が、あきれたように言った。  周吾はもう一度、怪力を秘めた自分の腕を一瞥したが、続いて、自分が走って来た方角にも目をや った。先程の怪青年が、ここまで追ってくるのではないかと思うと、気がかりだった。周吾は、「と にかく、皆さん、ここを出ましょう」  と、促した。 「そうっすね。俺らを拉致った連中がいつ来るとも限らないし」  賛同する男性は、女性二人を、先に部屋から出させた。先に真希のマネージャーである眼鏡の女性 を行かせ、続いて 「ほら、渦奈子(かなこ)さんも行って」  と、二十代半ばの女性を促す。 「ん、ありがと、貴田(きだ)さん」  男性に礼を述べた女性は、ドアをくぐって、周吾の脇を通り過ぎる際、 「ありがとう、桐州さん」  そう言って、周吾にもにっこりと笑いかけた。周吾は、この渦奈子という女性にも、見覚えがある ような気がした。 〈4〉 「意外に脱出は簡単でしたね!」  雑木林を走り、息を切らせながらも、貴田という男性が笑顔で言う。  周吾が、渦奈子ら三人を救出してから、わずか十数分後。地下に建造されていたらしい施設の出口 から、地上へと脱出した一同は、山中と思われる、闇夜の雑木林へ出た。  確証は無かったが、斜面を下って行けば、いずれは山を降り、人家のある場所や、でなければ道路 の一本にも辿り着けるだろうと、全員が考えた。そして、周囲に注意を払いつつ、出来るだけ急いで、 麓目指して向かう事になったのだ。 「本当ですよね、出口が見つかる前に、こっちが誘拐犯に見つけられちゃう覚悟はしていたんですけ ど」  名取マネージャーも、息を切らせつつ返答する。 「けど、まだ油断はできないですよぉ。少なくとも、山を降り切って、無事、人の多い場所に着くな り、警察に保護してもらうなりするまではね」  渦奈子が注意を呼びかけた。  しんがりを務める周吾は、置いてきぼりを食らう者が出ないよう、全員の体力にも気を配りながら 進んだ。特に気がかりなのが、メンバーの中で最も体力の無さそうな中年の女性マネージャーと、全 裸にシーツ一枚の格好をした真希であった。なにせ、明かりの無い夜間の、舗装などされていない山 林を駆け抜けているのだ。特に真希は、周吾と同じく素足のままである。足元はかなり危険なはずで あったが、不思議と真希は気にする様子も無く、軽快に草むらや木の根を乗り越えていく。  周吾は進みながら、度々、出口のあった方角を何度も振り返った。マネージャーの言うとおり、脱 出の瞬間まで、犯人達に見つかりもしなかった事が、気にかかったのだ。あまりにも、脱出の簡単す ぎる気がした。目を覚ました時、あの広大な手術室にいた白衣の一群はどこに行ってしまったのか?  今回もゴールは、予想よりも早く現れた。彼らの向かう先に、街灯と思われる、灯りが見えてきた のだ。  街灯は、山を越えるための一本の車道を、脇から照らすためのものだった。そのアスファルトで舗 装された路面を踏みしめた一同は、ホッと一息ついた。まだ山中から完全に出たわけではなかったが、 この道路は、殆ど麓に近い場所を走っているようだった。道路を横切った先にある雑木林の、さらに 向こうから、平地に並ぶ人家らしい灯りが、いくつも垣間見えた。 「あ、あそこにキャンプ場って書かれた看板があります!」  周吾が、二、三十メートルほど離れた地点の、道路の脇に立つ看板を指して、そう叫んだ。しかし、 他の人々は怪訝な顔をして、周吾が指さした先にある暗闇を凝視した。 「えっ?ああ、確かに、看板みたいなのが、あるっすね」 「…でも、何が書いてあるかまでは、ここからじゃ、私には分からないですね。桐州さんて、随分、 目が良いんですね」  そう言われて、初めて周吾は、自分の視覚の異常に気付いた。先程は、暗い山中を切羽詰った状態 で駆けていたので、気付く余裕が無かったが、彼の視界には、周囲の景色が昼間のように鮮明に飛び 込んでくるのだ。小さな街灯の光と星明かりくらいしか光源の無い現在でも、「緑川キャンプ場」と いう文字の入った看板が、彼の目にはくっきりと写る。  不意に、あの疼きが周吾の頭部を襲った。怪青年が出現する直前に感じた、頭痛のような、あの疼 き。思わず周吾は、再び、自分達が駆け降りてきた山林を振り返った。  草むらに、動物か何かが駆け込むような音を聞きつけ、振り返った真希が異変に気付いた。 「あれ…?桐州さんがいません…」 〈5〉  背後から、凄まじい力で締め上げられ、声を上げる暇も無く、道路脇の山林へ引きずり込まれた周 吾は、自分の顔面を鷲掴みにしている相手を、必死に確認しようとした。相手の指の隙間から、ボロ ボロになった白い布が垣間見えた。しかし、相手の正体を正確に見極める暇も無く、空中へ軽々と放 り投げられた周吾の体は、何メートルもの高さに舞い上がり、ひらけた草むらへと落下した。  周吾のいる、木の無いひらけた場所は、先程の看板にあった、緑川キャンプ場の敷地内だと思われ た。  全身を強かに打ちつけ、息の詰まった周吾の眼前に、襲撃者が姿を現わした。  痛みに霞む視界で、相手の姿を確認した周吾は驚愕した。先程、施設内で襲い掛かってきたあの怪 青年に違いない。特に怪我をしている様子も無く、傲然と周吾を見下ろしている。  怪青年の顔に、初めて表情らしきものが表われた。唇の端を捻じ曲げ、吊り上げて、笑いを浮かべ ているようだった。しかし、目は全く笑ってはいない。同時に、青年の腹部に、乳白色の光る渦のよ うなものが現われた。  まだ霞んだままの周吾の目には、青年の姿が、突然、別の何かに変貌を遂げたように見えた。人間 にも怪物にも見える、奇妙な姿となった青年は、倒れたままの周吾に歩み寄ると、片手で彼の体を掴 み上げた。  先程とは比べものにならない恐ろしい力で、再び鷲掴みにされた周吾の頭部に、鋭い爪が食い込ん できた。必死で逃れようとする周吾は、相手の腕を掴んで振り払おうと試み、さらに何度も蹴り飛ば そうとした。だが、今度は施設の中で襲われた時とは違い、相手は微動だにしない。そればかりか、 周吾の頭部に加えられる力は益々強くなり、軋んだ頭蓋骨が悲鳴を上げ始めた。  風が吹き荒れているような、何かが唸っているような、独特の低い音が耳の奥でこだましていた。  先程、あの広大な手術室のような場所で目覚めた時、ずっと聞こえていた、あの音であった。その 音が周吾の頭の中で強くなっていくと同時に、彼の腹部にも、赤い光の渦が現われてきた。彼の腰部 に、奇妙な形のベルトが出現した。  その時、手術台の拘束具を破壊した際などより、さらに強大な力が、全身に溢れ出してきた周吾は、 敵の腕を掴み返し、再び相手を蹴り飛ばした。  十数メートルも後方へ、弾丸のような速度で吹っ飛んだ敵の体は、ボールのように、二、三度、地 面の上でバウンドした。だが、驚くべきタフネスを秘める敵は、殆どダメージが無かったのか、すぐ に体勢を立て直した。しかし、周吾の姿を見た敵は、少し驚いた様子を見せた。 「リギル!」  初めて声を発した敵は、奇妙な言葉を口にした。あの青年が発したとは思えない、しわがれた野太 い声であった。  己の生命を守るための、原始的な衝動に突き動かされ、周吾は敵に飛び掛かり、力の限りパンチを 繰り出した。  だが、敵は軽い身のこなしで宙に飛び上がり、その攻撃をかわすと、木立の中へ飛び込んでいった。 虚しく宙を切った周吾の右拳は、炸裂音を立てて空気を切り裂き、衝撃波が周辺の木々を打ち振るわ せた。 周吾は辺りを見回したが、姿をくらました敵を発見する事は出来なかった。彼は、力尽きたように、 その場に膝を付いた。  助けを求めに行った渦奈子らを、その場で待っていた真希が、数分後、道路へ戻ってきた周吾の姿 を発見した。 「あっ、いたいた!桐州さん、どこへ行ってたんですか?私達、心配して…」  真希の言葉を、周吾は、最後まで聞く事は出来なかった。急速に意識が遠のいていった彼は、アス ファルトの上に、ばったりと倒れ込んでしまった。  白衣の男達が殺戮された現場付近。二つの異形の影は既に姿を消していた。影の一つによって開け られた、銀色のカプセルは、どれも中身が無かった。  劣化し、ボロボロになった白い布に身を包んだ集団が、もぬけの殻となったカプセルを残し、やは り地下の施設から地上へと姿を現した。  彼らは、誰かに率いられる訳でもなく、各々、当ても無い徘徊をはじめたのだった。 〈6〉  周吾らが、謎の施設から脱走して二週間、未だに世間は騒然となっていた。  様々な方面で活躍し、人気を得ていたアイドルの戸浦真希らとともに、やはり最近、めきめきと知 名度を上げていたアイドルユニットの1人である桐州周吾が、突然に行方不明。しかも誘拐の可能性 が高い。 これだけでもマスコミがセンセーショナルな話題として扱うには十分なものであったが、彼らが桐州 周吾の先導によって、無事に全員脱出、とあって、連日、新聞もワイドショーも、こぞってこの一件 に飛びついた。  また、周吾の相方である羽賀野陽太(はがの ようた)ら関係者は勿論、体力の回復や察の事情聴 取が終わった事件の当事者五名に対しても、直接取材や、TVへの出演依頼が相次いだ。 「続きまして、人気アイドル戸浦真希さんや、人気歌手ユニット『HOPPERS』の桐州周吾さんら五名 が誘拐された事件についての特集を、昨日に引き続き、お送りしたいと思います。事件発生から二週 間。しかし、犯人グループの行方はおろか、五名が連れ込まれたという、犯人グループのアジトと思 われる施設さえも、まだ警察の捜査では発見できておりません。本日は、無事お仕事への復帰が決ま った桐州さんと、羽賀野陽太さんにも、特別にゲストとして、スタジオに来て頂いています」  今日も、午後からのワイドショーにて、そんな前置きとともに特集が始められた。やがて周吾が、 この二週間で幾度となく繰り返された質問を、司会担当のアナウンサーやコメンテーターらに浴びせ られていた。 「では、周吾さんも結局、犯人たちの姿を直接見てはいないのですね?」 「ハイ。それに、白衣を着た人達はぼやけた目で見ただけですし、でっかい手術室にしても、僕一人 が薄暗い中で見ただけですから、正直、段々現実にあったものかどうか、自信がなくなってきちゃっ て…。すいません、当事者がこんな、頼りない記憶しか無くて」  周吾は、司会者に頭を下げた。現実感がなくなってきた、というのは正直な感想だったが、それで いて彼は、あの夜に体験した事は全て現実であると確信もしていた。 しかし彼は、自身の肉体が発揮した怪力や、白いシーツを纏った怪青年といった、特に現実離れした 部分については、警察から事情を聞かれた際にも黙っていた。とても信じてはもらえないだろうし、 正気を疑われる可能性もあった。これは、自分の相方である陽太や、家族のように親身になってくれ ているマネージャーにも話してはいない。 「あ、いえ、謝って頂く事はありませんが…。ところで陽太さんも、周吾さんが行方不明になられた 時は、さぞかし心配されたと思いますが?」  丁寧な口調で話す司会者は、陽太にも話を振った。 「…そりゃあ、心配しなかったって言ったら嘘になりますけど…。ま、こいつ昔から、もう駄目だ〜 〜!っていうような状況でも、見ててビックリするような底力を発揮して、何とかしちゃうとこ、あ りましたからね。今回もそうしてくれるかもしれない、って思うと、そんなに心配はしなかったです」  陽太は、やや無愛想に答えた。  心配でたまらなかった、という方向のコメントを期待していた司会者は、少々面食らったようであ った。 「ええ、ではここで、事件から生還された方々への、インタビューの模様をご覧に入れましょう」  そう言って、女性アナウンサーが話題を変えた。  真希のマネージャー達に行われた取材の結果が、スクリーンに映し出される。そこには、女性カメ ラマンである千代崎 渦奈子(ちよざき かなこ)、彼女と組んでいる男性記者・貴田の姿もあった。 「いやー、いつも取材している側の私が、こんな形で皆さんに囲まれる事になるなんて思いもよりま せんでしたよ」  と、渦奈子は映像の中で、笑って答えていた。 (そうか、どこかで見た覚えがあると思ったら、俺、あの人に取材された事があるんだよな)  周吾は、スクリーンの中の渦奈子を見ながら、ぼんやり思った。 〈7〉  周吾らの所属する事務所の裏手に、洋食屋を兼ねた喫茶店「ホイール」がある。ワイドショーの出 演を終えた周吾と陽太は、日が暮れてから、2人のマネージャーである桑田 笈(くわた きゅう)に 連れられ、「ホイール」に足を運んだ。  その日、「ホイール」は早々に店を閉め、入り口には「貸し切り」の札がかけられていたが、三人 はその入り口をくぐって店内に入った。初老のマスター、花辺(はなべ)は、「HOPPERS」の 二人を見て、顔を綻ばせた。 「おお、いらっしゃい、二人とも!」  特に花辺マスターは、周吾の無事をその目で確認し、涙を流さんばかりに喜んだ。 「いや、良かったよ、無事で!本当にもう、事件を知った時は、気が気じゃ無かったんだからね」 「すいませんでした、色々心配かけて」  照れた周吾は、はにかみながら頭を下げた。その様子を、桑田マネージャーは微笑ましそうに、陽 太はニヤニヤとしながら、見つめている。 「まぁまぁ、とにかく座ってよ」 「マスター、客、入ってないんじゃないの?」  マスターに席をすすめられた陽太が、わざとらしく心配してみせた。 「貸し切りだからだよ」  マスターが、「あかんべえ」をしながら、答える。 「本当にすいません、『おやっさん』。わざわざ店を貸し切りにしてまで、お祝いを…」  謝るマネージャーを制して、花辺マスターは笑った。 「気にしない、気にしない!他のお客さんはいらっしゃらないしさ、もっとリラックスしてよ。ま、 ゲストは別にしてね」 「誰だよ、ゲストって」  陽太が訊ねた。 「もうじき、お見えになると思うよ。到着次第、お祝いを始めるから、ま、それまでコーヒーでも飲 んでなさい」 「はい、頂きます」  花辺マスターの淹れてくれた、「ホイール」名物のコーヒーを啜りながら、周吾らはしばらくマス ターと雑談を交わした。 「どうなんだ、周吾。陽太と組まずに、出てた番組もあったよな?確か、子供向けの。あっちの仕事 にも復帰するのか」 「ハイ。俺がいない間、迷惑かけどおしで……。子供たちにもどうしてるかなー、って気になってる し」  そこで、桑田マネージャーが口を挟んだ。 「でも、その前に、変な企画に出なきゃいけないんですよ…。本当はまだ、事件から二週間しかたっ てないし、社長もあまり賛成はしてなかったんですけど」  マスターが、顔をしかめた。 「ああ、この間、社長が店に来たときに言ってたやつかな?TV局が独自に事件を調べるってやつだ ろ」 「ええ…」  周吾らがさらわれた事件の謎を、独自に究明するというコンセプトで、TV局が、事件から生還し た周吾らゲストを伴い、事件に関する現場を訪れ、取材を行うという企画を立てた。しかし、事件の ショックから大分立ち直っているとはいえ、拉致され、命からがら逃げ出すという経験をした当事者 を、わずか2週間しか経過していない段階で、まだ警察が調査中の事件現場付近に同行させるという のである。 「なあ周吾、やっぱ断っても良いんじゃねぇか?ちょっと変だったしよ、あの番組を企画してた連中。 無理して出てやる必要なんか無いと思うぜ」  陽太が真剣な顔をして、周吾に提案した。 「うん…でも、大丈夫だよ。ひょっとしたら俺も、現場の近くに行ってみて、何か事件の手がかりで も見つけるかもしれないし」  周吾が、陽太達を安心させるように言った。 「それより、陽太こそ、わざわざ俺に付き合う必要なんかないぞ。陽太は、事件とは関係ないんだし さ」 「全く関係ない事ねえだろ、お前は俺の相方なんだし。俺も一緒に出てくれって、局の人達が頼んで きたんだしよ、俺には別に断る理由は無いんだから、出てやるさ」  その時、頭の中に奇妙な疼きを感じた周吾は、同時に、店に近付いてくる足音を、耳にとらえた。 「誰か来たみたい。…二人くらい」  陽太は、怪訝な顔をして、入り口のドアを振り返った。 「どこに?」  陽太に聞き返され、周吾は戸惑いながら答えた。 「足音が聞こえるんだけど」 「俺は何も聞こえないけど…?」 「例のゲストって人かな?」  と、桑田マネージャーが口を挟んだ。 「おかしいね、もう少し後から来るはずだったけど。予定より早かったな」  マスターがそう言った時、ようやく訪問者の女性がドアを開けて店に顔を出した。 「あ、ほらね」 「お前、よくあんな遠くから足音なんか聞こえてたな」  陽太が不思議そうに言った。 「あの、申し訳ありませんが、今日は貸し切りという事になっておりまして…」  マスターにそう言われた、品の良さそうな中年の女性を見て、周吾は 「あっ!」  と、思わず、声を上げた。  その女性の後ろから、もう一人、サングラスをかけた若い女性が現れた。 「名取さん、私から、お願いしてみます。すみません、今日は、桐州周吾さんにお話があって…」  そう言いながら、若い女性は、サングラスをとって素顔を見せた。 「ああっ!」  と、桑田マネージャーや陽太も、声を上げる。 「真希…さんですよね?戸浦真希さん」  マスターも彼女には見覚えがあるらしく、目を丸くして訊ねた。中年の女性は、真希のマネージャ ーである名取であった。 「はい、そうです」 「すみません、こちらに周吾さんがいると窺ったもので…。真希が、是非、周吾さんに相談したい事 があるというもので」  名取マネージャーが、そう言って、マスターに頭を下げる。 「な、何?戸浦さん、相談したい事って」  周吾が、マスターに席をすすめられた真希に、驚きながらも、訊ねた。 「桐州さん…来週の番組の事、聞いてますよね?」  真希が言っているのは、事件現場をTV局が独自に調べて回る、という例の企画に違いなかった。 「うん、聞いてる。確か、戸浦さんはまだ決めてないんだっけ?参加するか、どうか」 「はい…。他のお二人も、桐州さんも番組に出るって聞いて。でも私は、どうしても決めかねちゃっ て…。 名取さんは、私が参加するなら一緒に参加する、私が出ないなら、自分も出ない、って…。それで、 その、桐州さんとお話したら、何か決心がかたまるかも…と思って、来たんです」  周吾は、それを聞いて考え込んだ。 「うーん、そうか…。確かに迷うよねえ。俺は、自分でも事件の事が気になるし、何か手がかりがつ かめれば…と思って、参加を決めたんだけど」  しばらく、店の中が静まり返った。と、急に周吾が、明るい声で真希に質問をした。 「あ、ねぇ、戸浦さんと名取さん、晩御飯ってまだ?」  名取マネージャーと共に、呆気にとられた真希が、しどろもどろになりながら、返事をする。 「え……は、はい。まだ…ですけど」  マスターが、周吾の真意を察したように、笑顔で提案した。 「そうか、じゃあ、もし良ければ、一緒にここで食べていけば良いですよ。今ね、彼の無事に帰って きた祝いのパーティーをやろうと思ってね。戸浦さんも、事件に巻き込まれて無事に帰ってこられた 者同士、参加しても問題無しです。ご馳走ならいっぱいあるから、二人くらい飛び入り参加しても、 問題ないですよ」 「えっ?で、でも悪いですよ…」  唐突な提案に、うろたえる真希。 「どうするべきか決めかねてるんならさ、とりあえずお腹に何か入れて、皆で騒いでれば、そのうち、 考えがまとまったりするんじゃないかなって、思って。気分転換みたいな感じでさ。どうかな?」  周吾が笑顔で、重ねて真希に訊ねる。 「どうする…?真希ちゃん」  名取マネージャーも、傍に来て、真希に訊ねる。  しばらく、周吾の顔を見つめていた真希は、やがて微笑み、突然の提案を受け入れた。  それから二十分ほどした後、マスターの言っていた「ゲスト」も、店に顔を出した。 「藤本さん!」  ゲストの顔を見た周吾と陽太は、反射的に椅子から腰を浮かせ、改まって挨拶をした。 「お、お久し振りです」  パーティーのゲスト、藤本弓継(ふじもと ゆみつぐ)は、厳つい顔に人懐っこい微笑みを浮かべ、 「おお、周吾君!元気そうで何より」  と、力のこもった声をかけた。藤本は、続いて陽太らにも挨拶をする。 「陽太君、マスターもマネージャーも、皆、お久し振りです」 「いえ、こちらこそ…。おやっさん、ゲストって藤本さんだったの?」  桑田マネージャーが、慌てた様子で、マスターを振り返った。 「へへ、藤本さんも、周吾の祝いに、わざわざ参加を決めて下さったんだよ。驚いたでしょ?皆のビ ックリする顔、見たくってねー」  マスターは意地悪く笑った。 「へへ、じゃねぇ!藤本さんみたいに大物だったんなら、あらかじめ言えってんだよ、マスター!」  怒鳴る陽太に対しても、ただ花辺マスターは、笑っておどけるだけである。 「わざわざ、ありがとうございます、藤本さん」  頭を下げる周吾に対し、藤本は笑って、かしこまった礼は不要だと言った。 「藤本弓継さん、ですよね…?俳優の」  目を丸くしている真希の横で、名取マネージャーも驚いた様子で、訊ねる。 「藤本さん、うちの陽太君と周吾君を、随分可愛がって下さるんです。一度、ドラマで競演して以来、 気に入って下さったみたいで…」  桑田マネージャーが説明する。 「わ、私、直接お会いするの、初めてです…」  真希が、まだ目を丸くしたまま、言った。  真希と名取マネージャー、藤本の、互いの自己紹介も終わり、いよいよささやかながらもパーティ ーが始まった。 「ま、何にせよ、周吾達が無事に帰ってきたことに乾杯だな」  何となく、陽太が乾杯の音頭をとり、皆、マスターの腕を振るった御馳走に舌鼓を打った。 「藤本さんも来てくれたのに、結局、社長は来られなかったなぁ。なあ、おやっさん」 「おやっさん、と呼ぶのは止めなさいと言うのに」  陽太に話しかけられた桑田マネージャーが、苦笑いして、陽太をたしなめる。怪訝な顔で、真希が 疑問符を発した。 「おやっさん?」 「そ、おやっさん」  周吾が、笑いながら答える。 「あの…さっき、マネージャーさんの方がマスターを、おやっさん、って呼んでませんでした?どち らも、おやっさん、て呼ばれてるんですか?」 「ああ、俺達はマネージャーを、おやっさんって呼ぶんだけど、おやっさんの方は、この店のマスタ ーを、おやっさんって呼ぶんだよ。おやっさんだけじゃないね。社長も含めて、ウチの事務所に長く いる人は皆、昔、マスターに世話になってたらしいんだけど、マスターの事、おやっさんって呼んで るんだ」  陽太も、真希に対し、 「紛らわしいから、俺達は、マネージャーをおやっさん、マスターはマスターって呼んで区別してる んだ」 と、補足説明をする。それを聞いた桑田マネージャーは、 「だから、おやっさん、じゃなくて桑田さんとか桑田マネージャーって呼びなさい!」  マスターは、 「そして私を、おやっさんと呼びなさい!」  と、それぞれ主張した。 「訳分からねぇよ、アンタら」  と、陽太が呟いた。  一連のやりとりに、真希が思わず、吹き出した。 「真希ちゃん、事件以来、あんな風に笑ったのは久し振りです」  そう言って、安心したように微笑む名取マネージャーの言葉を聞いて、 「そうですか…良かった」  と、周吾も、微笑んだ。 〈8〉  翌週、事件究明企画の収録がスタートした。ロケバスに乗り込んだ周吾は、千代崎渦奈子や貴田記 者に再会した。こちらを見た渦奈子が、微笑んで手を振ってきたため、周吾も微笑んで会釈した。  そして、参加を決意した真希の姿をバスの中に認めた時、ほんの一瞬、再び奇妙な疼きを感じた。  やがてバスが走り出した後、隣の席に座っていた真希は、 「桐州さんの言った通り、お祝いに参加させてもらって、騒いでいるうちに、考えがまとまりました。 と言うより、自分は、本当はこの企画に参加してみたいと思ってるんだって、自分の本心に気づけた んです。…ありがとうございました」  と、周吾に礼を述べた。 「いやいや、そんな…」 「そう言えば、もう一つ、お礼を言わなきゃならないのをずっと忘れていました。事件の時、自分だ って大変なのに、助けてもらって、本当にありがとうございます」 「いやいや、良いってばさ。そんな、あらたまって…」  周吾は、むず痒いような心持ちをおぼえて、照れ笑いを浮かべた。またも陽太は、ニヤニヤと笑い ながら、二人の様子を眺めている。 「あの、私の事、真希、って呼び捨てて良いんですよ。年下だし、芸能界でも、私の方が後輩だし」  真希の言葉に対し、周吾は、 「んー…。うん、じゃあ、俺も周吾で良いよ。あと、そこで笑ってる奴は、ヨウって呼べば良いや」  と、陽太を指しながら返した。 「おいこら、なんだ、ヨウってのは」  陽太が、慌てて言った。クスクスと笑いながら、真希も周吾に合わせ、 「はい、周吾さんにヨウさん」  と、言い、驚いた陽太は、 「おい!」  と精一杯、突っ込みを入れた。そんなやり取りを、最後部の席から、丸い眼鏡をかけた男がジッと 見ていた。  ロケバスは、渦奈子らが助けを求めた、民家の付近に到着し、撮影を開始した。  続いて、その民家からほど近い、キャンプ場と同じく「緑川」という名前が付いた廃工場へと向か った。気絶した周吾を抱えた真希達は、この付近で、救急隊員や警察と合流したという。しかし、気 を失っていた 周吾にはその記憶は無かった。工場付近での撮影を終えた後は、周吾が、怪青年の再 襲撃を受けた、麓近くの道路に向かう予定であった。  周吾の脳裏に、あの夜の、非現実的な光景が蘇ってきた。手術台のような寝台で自分の手足に巻き 付いていた、あの金属製のリングは、しっかりと寝台に自分を固定していたはずだ。そして、人間が 何の道具も使わずに力ずくで破壊できるような、やわな素材だったとは思えなかった。それを、アッ サリと破壊した自分。非人間的な存在感を持ち、襲い掛かってきた謎の青年。  廃工場が見えてきた時には、既に日が落ちかけていた。あの施設が存在する筈の、付近の山の頂上 には、発電用と思しき、巨大な風車の影が三つほど見える。そして、工場の敷地内には数台のパトカ ーがあった。  パトカーの傍に物々しい陣を敷いていた警官達が、撮影スタッフの姿を認めて、駆け寄ってきた。 ロケバスの後部座席で、周吾達のやり取りを観察していた眼鏡の男性も、周吾達の脇をすり抜けて、 自分から警官達に駆け寄り、何事か話し始めた。 「何があったんでしょうね?」  いつの間にか傍に寄ってきていた渦奈子が、周吾に耳打ちした。 「さあ…何かヤバそうな雰囲気ですよね」 「あの眼鏡のおっちゃん、確か番組のプロデューサーだったか?」  陽太も、警官と話している眼鏡の男性を指しながら、声をひそめて周吾に言う。 「だよね、確か…。プロデューサーまで撮影についてきてるのか?この企画も、あのプロデューサー さんがゴリ押ししたって聞いたけど…」  その時、パトカーの一台から、二十代程度の若い刑事が降りてきた。周吾は、その整った甘いマス クの刑事に、見覚えがあった。 「…あの人って、俺に事情聴取してた刑事さんの一人…」  話を終えたプロデューサーが、周吾らゲストメンバーや、撮影スタッフに、警官の離していた内容 を簡単に説明した。 「殺人があったらしい」  苦い顔をして、プロデューサーが言った。全員が、異口同音に 「えっ?」  と、驚き、さらにプロデューサーは 「しかも、死体は一つ二つじゃないらしい。この廃工場のすぐ裏手の雑木林で、何名かの死体があっ たそうだが、殺されたのは何日も前かもしれない、って話しだ。それと、どうやら、俺達がまわる予 定だった他の場所でも、見つかったらしい」  と、付け加えた。  パトカーから姿を現した若い刑事は、皆の傍に歩み寄ってくると、周吾に話しかけてきた。 「桐州周吾君、だったかな?そちらは、戸浦真希さんに、カメラマンの千代崎渦奈子さん…」  周吾と真希、渦奈子は、同時に、ハイ、と答えた。続けて周吾は、 「あの、確か竹潟(たけがた)さんって仰いましたっけ?」  と、刑事に問いかけた。 「ああ、病院で聴取をさせて貰った時以来だね。……この撮影について話は聞いてはいたが、まさか、 本当に行うとはな…。プロデューサーさんから聞いたとは思うが、この付近で殺人事件があった。し かも、ここだけじゃない。他に遺体が見つかった場所があるんだが、今から君達が撮影に赴く場所と、 合致する。元々、我々は、君達が巻き込まれた誘拐事件の捜査中に、遺体を発見したんだ」  周吾らは、思わず顔を見合わせた。撮影スタッフの間にざわめきが広がる。 「つまり、誘拐事件とも、関連があるかもしれないんだ。悪いが、今夜の撮影は中止にしてもらいた い…」  竹潟刑事の言葉を遮るように、周囲に悲鳴が響きわたった。 「何だ?」  その時、周吾を襲う、頭痛のような激しい疼き。  廃工場の奥から、数名の警官が、引きつった表情で、逃げるように駆けてきた。 「たっ、竹潟さん!あのっ、あの男…!」 「落ち着け!どうした、何があった?」  竹潟刑事の問いに答える代わりに、警官達が指差した先にある、夕霧に包まれた薄暗闇から、ボロ ボロの白いシーツのようなものを衣服代わりに纏った男が現われた。 「なんだ、ありゃ…」  訝しがる人々は気付かなかったが、この時、周吾の顔はみるみる青ざめていった。 シーツを纏った怪青年は、大勢の人間がたむろしている様を眺めて、唇だけを歪めた不自然な微笑み と共に、笑い声を発した。若い青年の顔に似合わぬ、しわがれた笑い声。  男の腰元に、乳白色の、光の渦が現われる。と、その渦がベルトのようなものに姿を変えた。腰に 巻かれたベルトのようなものには、バックルにあたる部分の中央に、鈍い銀色をした風車のようなも のが付いており、その羽は、蜘蛛の巣を思わせる乳白色をした同心円状の格子で覆われていた。それ は、どこか、蜘蛛の巣が張られた古い換気扇を連想させるものだった。  ベルトの中心から、乳白色の光が渦巻状に放出され、青年の全身に広がっていった。唖然としてい る人々の眼前で、青年の肉体は、光の渦の中、別のものへと変身≠遂げていった。 変化を遂げた男のシルエットは、普通の人間とほとんど同じに思えた。だが、パトカーのヘッドライ トに照らし出されたその姿は、人々に蜘蛛を連想させた。頭部は硬質な素材で出来たヘルメットや仮 面を思わせるものに変わっており、八つの眼球のような球体が、円を描くようにして並び、その間に 糸の様なラインが描かれ、蜘蛛の巣に似た模様を作り出していた。両手に備えた華奢な五本の指は、 金色と黒に着色された、蜘蛛の節足を思わせるものになっていた。  それは、蜘蛛と人間の混ざり合った怪物にも、蜘蛛をモチーフにした奇妙な甲冑で全身を覆った人 間にも見える姿だった。  唖然としている人の群れに、突然、蜘蛛のような姿の怪人は猛然と走りよった。撮影チームを庇っ て、反射的に動き出した男性警官達を、怪人は、数名まとめて、ただの体当たりで吹き飛ばしてしま う。二、三メートルも宙を舞った警官達は、驚愕している竹潟刑事の目の前で、地面に叩き付けられ た。 恐怖に駆られた巡査の一人が、悲鳴をあげながら、怪人目掛けて発砲した。放たれた弾丸のうち数発 は、間違いなく怪人の体に命中したはずであった。しかし、ゆっくりと巡査を振り返った怪人は、手 傷を負うどころか、僅かな痛みさえ感じていない様子で、その巡査に狙いを絞って襲いかかろうとし た。  だが、次の瞬間、怪人の体は大きく吹き飛ばされた。怪人の暴虐を目の当たりにした周吾が思わず、 棒立ちになっている人々の脇をすり抜けて走りより、怪人に力いっぱいタックルを見舞ったのだ。敷 地の隅に押し固められていたドラム缶の群れに、怪人が激突し、濛々と砂煙が舞う。人々は、息を呑 んで、息を切らす周吾と、舞い上がる砂煙を見つめていた。 「…リギル…」  しわがれた、殺意の込められたような低い声と共に、蟹の脚を思わせる、鋏の様なものが付いた腕 が、ドラム缶の影から伸びてきた。  恐怖に耐えかねた女性スタッフの甲高い悲鳴が響く中、周吾は目を剥いた。恐らく、怪人がダメー ジを受けていないであろう事は、予測していた。彼が驚いたのは、怪人の右腕がさらに変化を遂げて いた事である。人間と同じく、五本の華奢な指を供えていた腕の先端が、蜘蛛の節足に似た、巨大な 鋭い二本の触手を、鋏のように生やしたものへと変わっていたのだ。  その禍々しい右腕を構え、周吾目掛けて突進しようとした狙いを定めていた蜘蛛男は、不意に立ち 止まり、言葉も無くこちらを凝視している真希へ、振り向いた。 「…エンティス…?」  蜘蛛男は、真希に対しても、意味不明な単語を発した。 「え……?」  うろたえる真希に対し、蜘蛛男は変形した右腕をかざした。すると、鋏状の触手の間から、白い絹 糸のようなものが真希目掛けて放出された。白糸は、まるで意思を持っているかのように宙を飛び、 真希の肢体に巻きついた。間髪入れず、白い糸は、大蛇のように凄まじい圧力をもって、真希の体を 締め上げた。 「……!」  全身の骨が音を立てて軋み、呻き声も上げる事ができず、呼吸困難に陥った真希の意識は遠のいて いった。 「よせ!」  叫んだ周吾が飛び掛ると、蜘蛛男は糸で捕らえた真希を伴って跳躍した。周吾の突進をかわして飛 び上がった蜘蛛のような怪人は、人間離れした跳躍力で、工場の屋根に降り立った。  混乱した場を尻目に、怪人は、まるで周吾を誘っているかのように、屋根伝いに逃走を始めた。 「いいか、直接手を下すな。予定通りに追え」  プロデューサーが、スタッフの一人に耳打ちをした。 「お、おい、周吾!」  陽太の制止も聞かず、周吾は、怪人を追って走り出した。   〈9〉  真希を抱え、巨大な風車が並ぶ山頂を目指して、逃走を続ける怪人。その後を、夜間の山道である 事など意に介さないように、風のように疾走しながら追跡する周吾。彼らを追って走る陽太は、次第 に距離を開けられていった。一緒に走り出したはずの桑田マネージャーは、既に息が切れ、追跡を断 念していた。  山頂に到着した怪人は、抱えていた真希を、地面へ乱暴に放り出した。失神している真希の体は、 人形のように草むらを転がる。  遅れて、山頂に到着した周吾は、待ちかねたように自分を凝視している怪人を、そして、怪人の背 後で、倒れたままピクリとも動かない真希の姿を見た。 「真希さん…」  最悪の事態が頭をよぎり、動揺する周吾の隙を突く様に、蜘蛛のような怪人は、周吾目掛けて右腕 を振りかざしながら飛びかかった。 ギリギリで怪人の攻撃をかわした周吾だったが、衣服が鋏状の触手に切り裂かれ、鋭い痛みが走った。 続けざまに振り回される怪人の鋏を、常人離れした反射神経と動体視力をフルで駆使し、必死で避け まわる周吾。  不意に、怪人が左腕も振り回して攻撃に参加させ、周吾は対応しきれずに吹っ飛ばされてしまった。 地面を転がる周吾に、勝利を確信したかのような怪人が、ゆっくりと歩み寄る。  勢い任せに怪人を追ってきたまでは良かったが、このままでは、真希ともども怪人に嬲り殺しにさ れてしまうだろう。 「一体…何者なんだ、お前は…!」 「…リギル…」  周吾の問いに答える代わりに、再度、怪人が意味不明な言葉を呟き、さらに歩みを進めようとした。  怪人の発した言葉に反応するように、周吾の腹部に、何かが疼いているような熱さが走った。 「…?」  周吾が腹部に手をやると、そこに奇妙なベルトが出現した。鈍い銀色のベルトは、バックルにあた る部分が澄んだ青い色の装甲で覆われ、中央には、赤い円形の半透明な箇所があり、その中で赤い光 が、風車のように回転していた。  その時、彼は思い出した。「緑川キャンプ場」と書かれた看板のある道路の付近、あの場所でこの 怪人に襲われた時…。あの日、彼はこの怪物から、どうやって身を守る事が出来たのか。どうやって 危機から脱したのか…。  周吾のベルトを見た時、歩みを止めた怪人は後方へ跳躍し、周吾から距離をとると、警戒するよう に身構えた。 「うおぉぉぉぉぉ!」  ようやく戦いの場へ到着した陽太の目の前で、周吾は、猛然と怪人目掛けてダッシュした。走って 風圧を受けるたび、それに合わせてベルト発光部の回転数が上がっているように思えた。事実、発光 部の回転は少しずつスピードが上がっていた。彼自身は自覚していなかったが、回転スピードが上が るにつれ、陽太の見守る前で、周吾の肉体も別の何かへと変化を遂げていった。  周吾を迎え撃つべく、怪人が攻撃の構えをとったと同時に、周吾は大地を蹴り、怪人に向かって、 大きくジャンプした。その瞬間、頭部を除くほとんどの部分は別のものへと変化していた。ジャンプ した勢いに任せ、空中から蹴りを見舞う。敵に蹴りが命中した瞬間、遂に頭部までもが完全に変化を 遂げた。 「周吾……?」  変わり果てた相棒の姿に、陽太はそれ以上の言葉を失った。  目の前の敵と同じく、変身を遂げた周吾は、ゆっくりと立ち上がった。その首から、昆虫の羽を思 わせる何かが2枚生えた。2メートル近くの長さにまで伸びた、2枚の羽のようなものは、周囲の風 車と同じようにゆっくりと回転を始めた。ベルトの発光が、2枚の羽とは逆の方向へ回転を行ってい た。  やがて、2枚の羽は回転を止め、十数センチ程度の長さに縮むと、勢いを失ってしなびた。そこで 初めて、彼は、それが羽ではなく、首に巻かれているらしいマフラーのような布だったのだと気付い た。腰に装着されているベルトの発光部もまた、回転を止め、同時に赤い光も消えていった。 「リギル!」  改めて、怪人は彼をそう呼んだ。  怪人に「リギル」と呼ばれた今の姿は、昆虫のキリギリスを彷彿とさせるものになっていた。真希 達と共に脱出したあの晩、この怪人に初めて襲われた時も、周吾はほんの数秒、この姿に変身を遂げ ていたのだ。  周吾―リギル―と睨み合いの形になっていた怪人は、不意に、地を蹴って大きく宙に飛び上がり、 リギルへと飛び掛った。  咄嗟に、リギルも同じように地を蹴って大きくジャンプした。  ジャンプ力では、リギルが怪人を圧倒していた。空中で敵の攻撃をかわしつつ、強靭な脚力で敵を 下方に蹴り落とす。  大地に激突した蜘蛛男は、すぐに立ち直ると、着地したリギル目掛けて右腕から糸を放ち、反撃を 試みた。2度、三度と放出される糸をかわし続けるリギルだったが、三発目の糸をかわしきる事は出 来なかった。リギルの左腕を糸で捕らえた怪人は、力任せに右腕を振り回した。空中を、飛行するよ うに振り回されたリギルは、風車付近にある金網に激突した。ダメージを受けたリギルを、怪人はな おも糸を利用し、引き寄せる。  強引に引き寄せたリギルへ、怪人は鋭い触手と鉤爪を付き立て、勝負を決する筈であった。だが、 二体が接触するその瞬間、逆に引き寄せを利用したリギルは、膝蹴りで怪人を迎撃したのであった。  怯む蜘蛛男に、勝機を逃すまいとリギルは、すかさずパンチを放って、さらに怪人を怯ませた。大 きくよろめいた蜘蛛男に、リギルは駄目押しだとばかりに、充分に体重を乗せたミドルキックを放っ た。  怪人が倒れた隙に、リギルは大きくジャンプした。一瞬、敵の姿を見失った蜘蛛男に、リギルは渾 身の力を込めた飛び蹴りを放った。もろにキックを喰らった怪人は、電池の切れた玩具のように、ピ タリと動きを止めた。  一瞬の沈黙の後……。  突然、怪人の肉体は大音響と共に爆発四散した。 「うおっ!」  爆風に、思わず顔を覆う陽太。彼は、やがて、爆炎の中に立ち尽くす、変わり果てた姿の相棒に目 をやった。 「周吾……」  フラフラと、桑田マネージャーが茂みから姿を現した事にも気付かず、陽太はリギルと呼ばれる異 形と化した周吾を、呆然と見つめていた。  第一話 了


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